2017年09月24日

「水素水はニセ科学か」についての私の見解(その2/終わり) 2016年5月26日

【註記】2016年5月26日に公開したFacebookページへの投稿その2です。ここにサルベージして再掲します。私はここで、「水素水」問題は科学の問題以上に、はるかに人間の心理的な問題の方が深刻であることを述べています。


「水素水はニセ科学か」についての私の見解(その2/終わり) 瀬名秀明 2016年5月26日

 全体の結論:水素水はニセ科学ではない。

 問題を整理してみたい。水素水問題には次の4段階があるように思われる。水素水に対して世間でよく見かける批判や疑問を私なりにまとめたものである。

1)分子状水素(H2)は本当に水に溶けるのだろうか。「水素水」(分子状水素、つまり気体の水素を溶かした水)などというものは実在するのだろうか。
2)そもそも分子状水素がほとんど入っていない自称「水素水」が一般向けに販売されている。これらは太田成男教授がいう「水素水」とは区別されるべき紛い物である。このような会社の行為まで、水素水研究の発端となった太田成男教授は責任を負うべきなのだろうか。
3)分子状水素を、健康な人が日常的に摂取するに足るとする科学的論拠はあるのだろうか。充分なデータがない状況下で一般向け販売が先行していることは社会的に問題があるのではないだろうか。
4)一般的な人が日常的に摂取するに足るものであると見なしうる臨床データが存在するとして、では一般向けに水素水を販売することに、大学研究者である太田成男教授が積極的に関わることは、倫理的ないし道徳的な問題があるのではないだろうか。また太田教授のご子息のひとりが水素発生素材販売会社の代表取締役であることも、倫理的ないし道徳的な問題はないだろうか。

 これらに対する瀬名の見解は次の通り。

1)分子状水素は水に溶けにくいとはいえるが、まったく溶けないわけではないし、実際に溶けている。「溶けないものを溶かしているといっているからニセ科学」という見解は、明らかな誤認。
2)紛い物を販売する会社の行為まで、太田教授に責任を負わせるのは酷である。批判者はそこを明確に区別し、批判するなら紛い物の販売会社を名指しで批判するべきである。
3)分子状水素を一般的な人が日常的に摂取するのは有益であると考えられる臨床データは実際に出始めている。現状、ちゃんと水素が入った水素水を自分の納得のもとで飲用することは、さほど問題がないと思われる。
4)倫理と道徳の問題だが、太田教授の行為に倫理的問題があるとはいえない。産学連携のルールに則っておこなっていると太田教授は私にお話ししてくださった。ただ、ご子息のひとりが水素発生素材販売事業を展開しているのは事実だから、たとえ産学連携のルールに則っているといっても、それに対してどうなのかと疑問を呈する人が出てくるのは個々人の道徳観の問題として免れないだろう。太田教授はこれまでこのことについてあまりご自身の姿勢を表明してこなかったように思えるが、今回これを機にきちんとうかがうことができたのはよかったと思っている。

 もう少し詳しく述べる。

1)
 分子状水素は水に溶けにくいとはいえるが、まったく溶けないわけではないし、実際に溶けている。またその溶けた濃度内で効果が検討されている。溶けないからニセモノだといっている人は単に勘違いをしているだけで、自分は科学のセンスがないのだと告白しているだけなのだから、相手にする必要はない。ニセ科学批判をしようとするあまり自分が非科学的な発言をしてしまっている、という皮肉な例である。
 水素医学では分子状水素をどのように効率的に体内に運ぶかが肝要なのであり、あるときは水に溶かして飲用するし、あるときは水素浴をおこない、あるときは水素ガスとして吸引する。場合によって使い分けられている現状こそが重要である。

2)
 これは人間の心理の本質、人間の本性に関わる、重要で難しい問題だと思う。よって少し文章は長くなる。
 ニセ科学批判を行っている人たちの一部は、実はSFコミュニティの人と被っているという事実がある。そもそも「トンデモ(本)(科学)」や「ニセ科学」という言葉はディープなSFコミュニティから生まれて広まっていったものだろう。SFには未来志向の側面とおたくっぽい側面があり、そのおたくっぽい精神性が、実はニセ科学批判文化とは親和性が高い、と私は感じている。(おたくの人そのものに何か問題があるといっているのではない。誰にでも多かれ少なかれおたくの側面はある。誤解のないようお願いしたい)
 私が『パラサイト・イヴ』でデビューしたとき、誤った科学のイメージを広める小説である、ミトコンドリアを擬人化した科学リテラシーに欠く小説である、といった批判が一部で起こった。こうした批判をなさった方々の一部は、実はニセ科学批判の方々の一部と被っている。私はこうした方々と何とかコミュニケーションを図ろうとしたが、とても難しいと感じ続けた。しかしそれなりにそうした方々の思考回路というか、考え方の筋道もわかるようになってきた。だから私はニセ科学批判の方々のメンタリティも20年来見てきて、それなりにわかるような気がしている。
 たとえば私は『パラサイト・イヴ』でリチャード・ドーキンスの学説に言及したが、ごく簡単に触れていたに過ぎない。前後の文脈を見ていただければわかるはずだが、この部分の言及は科学的な記述としてとくに問題はないと私は思う。しかしこの部分は後にプレイステーションゲームなどによって、文意を微妙に改変されたかたちで転用され、あたかも「遺伝子が実際にものを考えている」という擬人化的な用いられ方として拡散してしまった。私の知らないところで文章が改変・転用されたのである。気がついたときには遅かった、という事例だ。
 原作者である私にこの責任はあるだろうか? 難しい問題である。この責任をゲーム会社や広告作成者ではなく原作者の瀬名が負うべきなのだろうか? 誤解のきっかけをつくったのだから瀬名にいちばん責任がある、とする考え方もあるだろう。私自身、いくらか自分にも責任があったのではないかと感じ、自分にできる範囲で事態の改善に努めようとはした。つまり瀬名の関係する記事はすべて事前にチェックさせてほしい、科学的に誤解を招きやすいと思われる部分には話し合いの上で改善をお願いしたいからだ、と申し出た。
 膨大なチェックをひとりでおこなうことがどれほど大変なことかご想像いただけるだろう。これでも漏れは出てくる。検閲行為だとジャーナリストが文句をいってくる場合がある。途轍もない疲労のなかで戦わなくてはならない。「そんなこと知ったことか」と突っぱねる姿勢より、ずっと誠実な行為であると私は思っているのだが、そうした行為をおこなった人の方が世間の批判に晒されてしまう。それは悔しいし、絶望的な気持ちになる。
 私自身の考えをまず述べると、いま水素水批判をなさっている方々は、太田教授や水素水ではなく紛い物の自称「水素水」を批判なさればよいのであって、批判の対象を間違えている、ないしは絞り切れていないと思う。まず批判されるべきは、紛い物を売っている会社なのではないだろうか。そうした会社を名指しで批判なさればよいのだと思う。
 しかしながら現状はそうならず、たまたま前に出てコミュニケーションを図ろうとした太田教授が批判されている。むしろ太田教授は正確な知識の啓発に努めようとした、誠意ある人物といえるのではないだろうか。その彼が集中砲火を浴びるのは間違っていると私は思う。
 私は太田教授と親しいというほどでもないが、それでもお人柄は知っているつもりだ。太田教授との共著『ミトコンドリアのちから』(新潮文庫)は、おそらく世界で初めて一般向けの活字媒体で水素医学について触れた書物だった。この水素医学の部分については、太田教授も当時非常に慎重な態度で執筆なさっていたことを鮮明に憶えている。この本はお互いがお互いの原稿に手を入れながらブラッシュアップしてゆくかたちで書いた。相手の論旨が納得できない場合はもう一方が意見を出して書き直すことを繰り返してつくった。いまでもこの書物は一般向けのミトコンドリアの本としては世界最高水準であると思っているし、いま読んでも充分に面白いと胸を張っていえる。
 太田教授が批判されがちなのは、太田教授のお人柄ゆえかもしれない。太田教授は研究者としては申し分ない実績の人で、もし彼がニセ科学者なら、私の知っているほとんどの研究者はニセ科学者であろう。そのくらい研究者としてはちゃんとした人だ。生化学分野では知らぬ人のいない香川靖雄先生の弟子筋に当たるはずで、名門の出である。むろん名門を出たからその人が優れているとはいえない。しかし太田教授はちゃんとミトコンドリア研究者として実績もある。
 なるほど昔は実績があったかもしれない。しかし人生の途中からおかしなことをいい始める人はよくいる。太田教授はそういう人だろうか? ここは慎重に判断する必要がある。
 太田教授はたぶんテレビのような華やかな場所にも好奇心豊かに出かけてゆくタイプの人だ。このことが誤解を招きやすい下地をつくっている。
 『パラサイト・イヴ』は誤った科学のイメージを広める悪書であるという批判は、確かに一部のSF読者からあった。ではSFコミュニティ全体がそのような見解だっただろうか? SFコミュニティ全体が瀬名を悪し様にいったのだろうか? 決してそうではない。太田教授も述べているように、一部を全体と見なしてはならないはずだ。そう考える人は、だからこそより正確な啓発をしたいと考え、積極的に前に出てコミュニケーションを図ろうとする。
 しかし批判している一部のSF読者のなかには、『パラサイト・イヴ』刊行から20年以上経ったいまも、ご自身の見解を変えることなく、やはり瀬名を批判し続けている人がいる。『パラサイト・イヴ』という小説作品だけでなく瀬名という人間そのものへの批判や偏見も翻すことがない。20年以上にわたる私の活動ひとつひとつの内容にも目を向けてはくださらない。これでは多くの時間と労力をさいてコミュニケーションを図ろうとしても、結局は無駄なのではないか、という徒労感、絶望感に苛まれる。
 そしてもうひとつ重要な側面がある。こうした一部のSF読者に対して、他の大多数と思われるSF読者は、なぜ「おい、そんなことはやめろよ。他の人たちは迷惑だし、コミュニティのためにもならないじゃないか」とたしなめることがないのだろうか(あるのかもしれないがほとんど表に出てこない)。コミュニティ内で問題を放置する力学が働いているように見えてしまう。関わり合いになることを避けて口を噤み、タブー化してしまう。これも当事者にとっては絶望感を生み出す要因である。
 こうした絶望感が続いたとき、人は「まともにコミュニケーションをしようとしても無駄なのだ。しょせん彼らはみんな話のわからない馬鹿なのだ」と、つい思ってしまうものだ。太田教授は一時期、こういう心境になりつつあったのではないかと私は感じている。実際そのようなことを不用意に公の場に書いてしまわれるようになった。そうした状況を横から見て、私は「これはまずい兆候だ」と本当に心配したものだ。とても残念なことであったが、いまは心持ちも回復なさっているようで安心している。
 ただ、いっときであってもそういう状況に追い込んだのは、世間の無理解や放置にも原因があるのではないか。人を追い込んで、追い詰められた人がついブレた行動を見せてしまったとき、徹底的にたたきのめす、これはいじめの構造ではないだろうか。本当に批判者の方々はそのような状況を望んでいるのだろうか。違うだろう、本当に大切なことは、そこではないはずだ。
 こういう場合、人は自衛手段としていくつかの決断をせざるを得ない。まず私の場合は、SFコミュニティ全体との関わりをいっさい絶つ、もう関与しない、という決断をしなければならなかった。実際に体調も悪化してしまったからである。
 私を攻撃しているのはごく一部なのだから、瀬名の反応は過剰である、といわれるかもしれない。しかしそのごく一部の人を周りの人は放置しているのだから、そのなかに入ってゆくことは私にとってきわめて危険な行為だ。それに、もう20年もコミュニケーションを試みて、それでもだめだったという現実がある。人生の半分近くを費やしてもだめだったのだ。これは絶望的な結果ではないか。たとえばSFコミュニティの(プロやセミプロも集う)飲み会に行くと、そこでつい漏らしたひと言が、前後の文脈を無視して2ちゃんねるに書かれて揶揄されることがあった。ほんの20人程度の飲み会でもそのようなことが起こるのだから、とても気を許せるものではない。瀬名は複数の女性大学院生と肉体関係を持っているのではないかなどとあからさまに尋ねてきたSF関係者もいて、唖然としたこともある(もちろんそんな事実はない)。何をいいたいのかというと、どんな些細なきっかけでも批判の対象に結びつけてしまうような人はいるのかもしれないということだ。
 私は東日本大震災を経験したが、余震が続いて環境も整わないようなときに観光に来て下さいとはさすがにいえない。テロが頻発している地域にあえて旅行に行こうとは思わない。テロが頻発している地域に住む人すべてがテロリストであるわけではない。しかし身の安全を考えるなら、そこに近づかないという選択肢はあり得る。それと同じことだ。もしそれがいやだというなら、ここは安全ですとその地域がアピールしなければならない。現状、ニセ科学批判者の一部は行き過ぎた攻撃をおこなっており、危険なのだから、そうした人たちとは真摯なコミュニケーションを取らず距離を置く、という判断がなされても仕方のないことではないか。そう判断する人をどうして非難できるだろうか。
 だが、そういう状況は本当に豊かな科学技術社会にとって有益だろうか。ひとりひとりが考えなくてはならないことだ。太田教授の例はそのことを示している。本当の科学リテラシーが求められている。

3)
 分子状水素には、医学応用と健康応用がある。
 医学応用は、たとえば水素ガスによって脳障害を改善する効果が見られる、といったもの。未来の医療現場で分子状水素を用いることへの期待は大きいといえるし、私自身もこれは筋のよい研究だと感じる。
http://shigeo-ohta.com/wp-content/uploads/2014/11/141106_keio.pdf
 もうひとつは、ごくふつうの人が日常的に分子状水素を摂ることは本当に意味があるのか、といったことが争点になるだろう。確かに医学応用の筋はあるかもしれないが、一般向けに水素水販売をするのはどうなのか、といぶかっている人は少なくない。このことは私も太田先生にうかがったが、次の臨床結果を教わってなるほどと納得した。高濃度水素水には人の日常生活疲労に対する抗疲労効果が認められる、とする臨床研究である。
https://www.osaka-cu.ac.jp/ja/news/2015/d0jv05
 「うーん、グラフを見る限りはっきりしない感じだなあ」「これは論文ではなくまだ学会発表の段階だよなあ」などと思われるかもしれないが、まずこういう研究がちゃんとおこなわれて成果発表されていることは評価したいし、きちんと次につなげてゆくために、私たちはじっと待って研究そのものを支援する姿勢をもちたいものだ。少なくともこういう結果がある以上、「一般向けに水素水を販売することは問題がある」とは断定できない。本当に科学的な態度としては、ゆっくりと進捗状況を見てゆく、ということではないか。太田教授にうかがうと、現状の過剰な批判と過剰な期待の高まりで臨床試験そのものができにくい状況が生まれているとのことなので、そうなってしまっては本末転倒である。
 こうしたことをきちんと理解した上で、「自分は飲む」「自分は飲まない」と判断すればいいだけのことだ。現状でフェアに述べるなら、飲んでいる人に対して「あいつは非科学的だ」とはいえない。飲まない人に対して、飲んでいる人が「意固地になって飲まないのは損なのになあ」と思ったとしても、それもまたひとつの考え方として大いにありだと私は思う。
 私自身は、水素水は飲まないが、水素風呂はときどき実践している。水をごくごく飲むよりこちらの方がやりやすいし、入浴剤としても気持ちがよい。これは私が実感していることである。

4)
 倫理と道徳観の問題である。
 ある研究者の家族や親族が、その研究に関連した事業をおこなっている例は稀ではない。健全な経営であれば後ろ指をさされるいわれはない、という考え方がある一方で、そう思わない人がいてもおかしくはない。これは人々の道徳観の問題である。また業界上のルールにちゃんと則っているかどうかということも問題の対象になる。こちらは業界倫理の問題だ。
 この部分については私もこれまで太田教授に念をおす意味で何度か個人的にうかがってきたのだが、あまりはっきりとしたお返事をいただけることがなく、もどかしく思っていた。しかし今回、この文章を公開したいと太田教授に事前に申し出たところ、はっきりとしたお返事をいただくことができて嬉しく思っている。(その1)にも書いたが、改めてここに書いておきたい。
 太田教授からは、まず自分は産学連携のルールに則って自分と家族の経済的利益を大学側に開示しており、その意味で倫理的に問題のないかたちでおこなっていると思っている、という旨のお返事を頂戴した。
 またその上で、倫理とはこのように業界内のルールだが、道徳は文章化できない感性の問題を含んでいるため、あるとかないといったことはいえない、ただ自分は悪いことをやっているわけではなく道徳的問題もないと思っている、とのお話だった。私としても納得できるご回答である。その上で、水素が含まれていない自称「水素水」の販売会社を自分が名指しで批判することは、そのことによって被害を受ける人も出てくるので「道徳的にいかがなものか?」という批判が生じる可能性がある、との見解もお知らせいただいた。このことも太田先生のお立場としてはよくわかる。
 いままでこうしたことについては明快なお返事をいただけていなかったので、私としても嬉しく思う。このようなお返事をいただきたかったのだ。
 こうした部分はこれまで、水素水に関して無用な誤解や批判を招く原因のひとつになってしまっていた、と私は思う。太田教授は倫理上の件についてはかなり背景を理解している人でないとうまく真意が伝わらないかもしれないため自分からとくに公開の場で言及するつもりはないとのお話だったが、今回このように太田教授のお考えをきちんとうかがえたことはよかったと個人的には思っている。

以上

瀬名秀明
posted by Hideaki Sena at 17:20| 仕事

「水素水はニセ科学か」についての私の見解(その1) 2016年5月26日

【註記】ここに掲載するのは、以前に私が運営していたFacebookページに挙げた文章(2016年5月26日公開)のコピーです。2016年10月にFacebookページを閉じましたので、そのときからこの文章も未公開となっていました。ここにサルベージして再掲します。


「水素水はニセ科学か」についての私の見解(その1) 瀬名秀明 2016年5月26日

 産経ニュースが2016年5月16日、「美容、ダイエットと何かと話題の「水素水」 実はかつてブームを巻き起こした「あの水」と同じだった…」という記事を掲載した(平沢裕子記者)。
http://www.sankei.com/premium/news/160514/prm1605140024-n1.html

 これに対する日本医科大学・太田成男教授の反論記事が、24日に掲載された。
http://www.sankei.com/life/news/160524/lif1605240013-n1.html

 同じ文章がこちらにも掲載されている。
http://shigeo-ohta.com/topics114/

 私・瀬名秀明は『パラサイト・イヴ』(新潮文庫)を書く前から太田教授の名前を存じ上げていた。ミトコンドリア研究者としてすでに著名だったからである。そこで『パラサイト・イヴ』が映画化される際にはアドバイザーをお願いし、実際に映画内でのピペットの取扱い方などを俳優の皆さんにご指導いただき、また『パラサイト・イヴ』の文庫版にも解説記事のご執筆をお願いした。その縁で太田教授とはミトコンドリアに関する一般向け科学書『ミトコンドリアと生きる』(現在は絶版)を共著で刊行することもできた。その全面改訂版『ミトコンドリアのちから』(新潮文庫)は、現在も着実に刷を重ねている。
 いままで私は、太田教授の水素水研究について、ごく初期のころを除いて見解を発表してこなかった。しかし近年、「水素水はニセ科学である」と安易に揶揄する風潮が急速に広まってしまった状況を、心配しながら見ていたひとりではある。
 22日に太田教授からメールを頂戴した。産経にこのような「水素水=ニセ科学」の記事が掲載されたので抗議したところ、反論文を寄稿してほしいとの要請があったので添付のような書類を送った、ご批判をいただければ幸甚です、とのことであった。
 そこで私の方からその日のうちに取り急ぎお送りしたのが次の文面である。(今回公開するにあたり、わかりにくかったと思われるところをごく一部改めた)
 これを「水素水はニセ科学か」についての私の見解(その1)として、ここに掲載する。太田教授の反論記事は私が22日に拝見したものと同じであり、改稿はなされていないので、現在掲載されている記事に対する感想そのものでもある。
 追加の感想を(その2)に載せるので合わせてご覧いただければ幸いである。 瀬名秀明

太田先生

産経ニュースの記事と、先生のお原稿を拝見しました。
ご批判いただければ、とのことなので、取り急ぎ私の感想をお送りします。お役に立てれば幸いです。

私自身は、太田先生の科学に対する姿勢を信頼していますし、また正統なものであると高く評価しています。私は水素水(分子状水素)の正統的発展を願う者のひとりであり、ニセ科学批判者の一部がしばしば意固地になって自分の意見を撤回できず見苦しい(非科学的な)態度をとることが、非常に問題を引き起こしていると憂慮する者のひとりです。

一方で、これはたぶん太田先生のお人柄ゆえなのだと思いますが、
1)メディアに対する対応への脇が甘い
2)水素水に関する科学的探求と商業応用の区別について言葉を濁す傾向がある
ことは、ニセ科学批判者につけいる隙を与えていると思っています。

お原稿の内容について、総論的にはまったく異論がありません。
ただ、私ならこう書く、こう書いた方がより多くの人に的確にリーチできるだろう、と思った部分を示します。

1.
私ならここに、
(d)水素水がヒトへの臨床研究で着実に有益な結果を得つつあることへの言及を欠いている。
と書きます。多くの批判者が論点としていることとして「マウスなら効果はあるかもしれないが、ヒトへの臨床結果はちゃんと出ていないではないか。それなのに水素水を研究者監修で販売することには倫理的ないし道徳的な問題があるのではないか」ということがあるのですが、太田先生はこの部分への明快な回答をしていないように思われます。
ですから、「いや、ヒトへの臨床応用の結果が、このようにきちんと出始めている。有益だという結果が出つつある。その批判は的外れである」という必要があるだろうと思います。そして具体的に≠ヌのように有益と考えうる結果が出ているかを、一例だけでもよいのでこの文章内で言及する必要があると思います。この点については後述します。

3.
ここに「有意な結果をだしており」とありますが、私ならここで具体的に≠ヌのような結果が出ているのか、公表できる成果を一例でもよいので紹介します。
「有意な結果をだしており」だけでは、「実際には何がどのように有意なんだ? 本当にそれは信用できる研究結果なのか?」と疑われてしまいます。ですからここでははっきりと、具体的に¥曹ュ必要があります。ここは絶対に必要な部分です。
紙幅が許すなら、私は医学応用と健康応用の二例を紹介するでしょう。医学応用としては、たとえば水素ガスによって脳障害の改善に効果が見られるなどといった、未来の医学にちゃんと役立つと思われるような結果です。もうひとつはたとえば以前にご紹介いただいたような、水素水によって疲労回復の成果が見られるという、一般の人が水素水を飲むことに意味があることを示すデータです。こうした具体例を出さないと全体の説得力が出ません。

5.
水素水は分子状水素を水に溶かしたものである、ということは本文中でちゃんと書けていると思いますが、重要なのは水素分子であるといいたいあまり、ロケットのエネルギー源という、意味のない例を出してしまっています。これはむしろニセ科学っぽい「十把一絡げ論」に思われかねないので、この喩えはやめたほうがよいと思います。
むしろ「重要なのは分子状水素であり、これをどのようにうまく体内に送り届けるか、そのデザインが肝要である。場合によっては水に溶かすし、別の場合には水素ガスとして用いる。用途によって使い分けている現状こそ、水素医学の正統性を裏づけるものだ」と主張した方がよいでしょう。ロケットのエネルギーと人間の健康は無関係です。

6.
「400報の論文」という表現を太田先生は好んでお使いですが、これはあまり意味がないのでおやめになったほうがよいと思います。
いろいろな反論の方法が、いくつも思い浮かんでしまうからです。
「400報」と聞いてからもうずいぶん経ちます。「なぜ論文はずっと400報のままで、もっと増えないのか。本当に有益な科学なら、毎年どんどん論文数が増えて500報、600報となるはずだが、ずっと400報のままではないか」ともいえるでしょう。
また論文の発表国の内訳を見ると、ある時期からアメリカが激減し、中国が主流になっています。「なぜアメリカは激減したのか。見込みがないと撤退したからではないか。偽物が横行する中国で論文が増えているのは、たんに水素水を商業利用したいからではないか」という無意味な反論を招きかねません。
どうしても論文数をおっしゃりたいなら、「この論文数は質を伴っているのだ」とおっしゃった方がよいと思います。たとえばニセ科学である活性水素水の論文数とあえて比較することで(そういうのがどのくらいあるのかわかりませんが)、水素医学研究の正統性をおっしゃることもできるでしょうし、400報のインパクトファクターの平均や掲載誌の名前を示して、ちゃんと良質な学術研究が進んでいるのだと示すことも、ときには大切だと感じました。
「少人数でも統計的に有意な効果が示されているので」のくだり、やはり具体的な≠アとが書かれていないので、むしろ「何かを隠しているのではないか」と疑われかねません。はっきりと具体的な′果を明記すべきです。
「副作用が見られない」といういい方も、かえって不信感を招くので注意が必要と思います。「副作用のないクスリなどない」という言説は、広く一般的に認められています。これに真正面から異を唱えているわけですから、多くの人に異和感を与えるのは当然でしょう。また「副作用のないクスリは、そもそも効かないクスリだ」という言説も一般的ですから、「水素水は結局何も効かないものだ」と思われかねません。
「現時点では人体への効用が認められるにもかかわらず目立った副作用が確認されないことは、医学的に見ても注目に値することであり、全体的な効果をしっかりと見据えながら臨床応用をより確かなものにしていきたい」といったいい方をとるほうが、はるかに説得力があるように思えます。

7.
「この2社への私の関与は無償で行っている」というのは、私は初めて知りました。このことは太田先生のブログにも、トップページに大きく書いておく方がよいでしょう。
一方、ご子息のおひとりが水素発生素材販売事業の代表取締役であることから、「やはり家族内で儲けているのではないか」という批判が起こることは免れません。ご子息の運営なさっているウェブページは私も拝見して、しっかりしたものだとは思っていますが、しかし血縁者内としては水素関連事業で儲けているのではないでしょうか。
この部分について、利益相反の面で問題はないという確たる論拠を、太田先生はいずれ示す必要があると思います。専門家の方とご相談なさって、はっきりとした見解をどこかの時点で出された方がよいと、私は強く思います。【註1】
以上、私からの感想です。ご発展を心から祈念いたします。

【註1】
このメールを送った後、この文面を公開したい、またそれに付随する新たな感想も公開したい、と改めて太田教授に申し入れた。その下書きを送ったところ、太田教授からご自身の倫理対応と道徳観についてはっきりとご意見をうかがうことができた。まず自分は産学連携のルールに則って自分と家族の経済的利益も大学側に開示しており、その意味で倫理的に問題のないかたちでおこなっていると思っている、という旨のお返事を頂戴した。
またその上で、倫理はこのように業界内のルールだが、道徳は文章化できない感性の問題を含んでいるため、あるとかないといったことはいえない、ただ自分は悪いことをやっているわけではなく道徳的問題もないと思っている、とのお話だった。私としても納得できるご回答である。その上で、水素が含まれていない自称「水素水」の販売会社を自分が名指しで批判することは、そのことによって被害を受ける人も出てくるので「道徳的にいかがなものか?」という批判が生じる可能性がある、との見解もお知らせいただいた。このことも太田教授のお立場としてはよくわかる。
いままでこうしたことについては明快なお返事をいただけていなかったので、私としても嬉しく思う。このようなお返事をいただきたかったのだ。(その2)を参照されたい。

 さらなる瀬名の感想・見解は(その2)に続く。
http://hsena.sblo.jp/article/181092446.html
posted by Hideaki Sena at 17:14| 仕事

2017年05月19日

ストレスを和らげるために人は幻想を生み出す

 自分たちが攻撃し、傷つける相手のことを、人間性を欠いた存在とみなしがちなのは、ごく普通のことである。特に珍しくはない。攻撃する前も、攻撃の最中も、その後も、相手は人間ではない、と思い込むのだ。
 だが、相手が実際には非人間的な人物ではない場合、二つの相矛盾する認知が同時に生じることになる。これを心理学の用語で「認知的不協和」と呼ぶ。二つの矛盾する認知が共存する状態は、人間にとってストレスになり、苦痛である(たとえば、「自分たちは優しい人間である」という認知と、「自分たちは誰かを破滅に追い込んでいる」という認知は矛盾しているので、共存しているとストレスになる)。
 その苦痛を和らげるため、私たちは自分の矛盾した行動を正当化するような幻想を生み出す。(後略)

ジョン・ロンソン『ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち』夏目大訳、光文社新書、2017(原著2015)より引用
posted by Hideaki Sena at 00:54| 仕事