2015年12月07日

日本SFコミュニティについて考えること(その4)

(その3からの続き)

【親睦団体】

 さほど深刻ではない話題を少し差し挟みたい。たぶんこの項目は、多くの人にご賛同いただけるのではないかと思う。
 しばしば議論の焦点となることとして、はたして日本SF作家クラブは「親睦団体」なのか、という点がある。
 会則第一条に「親睦団体」と入ったのはそんなに古いことではなく、かつて大きな改定があったとき(山田正紀さんが会長だった時代)だと認識している(たぶん正しいと思うが、間違っていたらごめんなさい)。なぜこの文言が入ったのかは定かではなく、この文言が吟味された形跡も私自身は見つけられず、まあこれでいいやとなって入ったのだろう、というのが私個人の見解だ。
 よく日本SF作家クラブの体質がどうこう、とか、団体としての責任は、という話になったとき、「日本SF作家クラブは親睦団体であって、権威や利権など関係ない」という主旨の反論がしばしばなされる。Togetterでもそのように発言している会員がいる。だがこうした言葉が空しく響くのも実際のところではないだろうか。
 まず、本当に会員は「親睦」しているのか、という根本的な疑問。率直にいって、200名もの全員が全員、仲がよいということはないだろう。クラブ内でさらにいくつか仲のよい小集団があるが、全体としてはさほど仲がよいわけでもなく(ぎすぎすしているわけでもないが)、親睦を積極的に深めようとする雰囲気もなかった、というのが私の印象だ。個別にはいろいろ思うこともあったが、まああまり社会全体として重要な話ではない。いまは雰囲気も変わっているかもしれない。
 一方で、合議が難しい、というのは強く感じた。個人個人を尊重するあまり、多数決で物事を決めるということがなかなかできない。個人主義の社会だといえるのかもしれないが、何かを決めようとするとき「私の考えを無視するのか」と誰かが言い出せば決まらない、ということがありうる。だからなるべく現状維持でやり過ごそうとする。結果、重要な問題がずっと放置されたまま、次世代へ受け継がれてしまう、という構造上の問題がある。これはSFコミュニティの特徴のひとつだ。
「利権」は本当に存在するのだろうか。仲のよいもの同士でSF関係の書物を出版する、ということはよくあるようだ。ただし先にも書いたように、SF業界はもともとファンダム出身者が多く、友達感覚と仕事感覚の境界が曖昧なところがある。どこまでがOKで、どこから先は道徳的に問題がある、と線引きするのが難しいのだと思う。
 ただ、どのような形式であれ、そこで本が出版されたり、イベントが開催されたりするのであれば、業績が発生する。この業績がその会員の本業の業績に繋がったり、金銭や名誉が発生したり、ということもあるだろう。こうなると倫理的によいかどうかの判断は難しくなる。この文章でも個別に話を進めてゆく。
 日本SF作家クラブは、ときおり「後援」や「協賛」というかたちで、外部のイベントに協力することがある。宝塚市立手塚治虫記念館や世田谷文学館の展示会、日経「星新一賞」、などがこれにあたる。
 こうしたとき、金銭的な恩恵が発生する場合がある。宝塚市立手塚治虫記念館の展示会のときは、会員はコースターにメッセージや絵を書いたら入場料がただになる、という取り決めになっていた。これは厳密にいえばクラブ会員が利得を得ているわけだ。
 どうして親睦団体のクラブが外部イベントの後援や協賛に名を連ねるのかということだが、「なぜ私(たち)に何のことわりもなくSFのイベントをおこなうのか」という不満がクラブ内部から出てくる可能性をあらかじめ防ぐため名前を使っていただいている、ということなのだと私は思っている。会員のプライド、自尊心を満足させるための措置だと言うことである。ここは会員によって見解が分かれるところだと思う。そうではない、という人もきっといるだろう。必ずしも本当にそういうクレームや愚痴を言ってくる人がいるわけでなくても、「後でもめ事になりたくないから」という理由で先手を打ちたいと考える人がクラブ関係者や業界から出てくることは実際にある。判断が難しいところではある。
 50周年記念プロジェクトの刊行物が、むしろふだんSFをあまり出していない出版社からよく出ていたのをお気づきになった方もいることだろう。そうした出版社は純粋に、著名なSF作家が集まるクラブと一緒に仕事ができるのは光栄です、とおっしゃって、企画を実現してくださったのだ。日本SF作家クラブという名前にはステータスがある。これは事実だ。逆にクラブの実情(?)をよくご存じの出版社からは渋られることが多かった。ここは私の実感である。
 日本SF大賞も、スポンサーを得て運営がなされてきた。社会的なお金が動いているわけだ。そうした部分を脇へ置いて「私たちは親睦団体です」というのでは、ダブルスタンダードだといわれても仕方がない。会長職に就く者は、ここで強いジレンマを抱えることになる。内部向けの発信と、外部向けの発信を使い分けなければならず、どちらの発言にも誠実であるためには、自分のなかだけで矛盾を消化するより他に道がない。とてもストレスのかかる立場だ。
 本当に親睦を趣旨とする団体だと言いたいのなら、日本SF大賞などやめて、外部と接触することなく、ただ会員同士で親睦だけをしていればよい、と私自身は思う。顕彰も会員同士でやりとりすればよいことのように思える。でも実際はそうではなくて、小松左京さんがかつて夢想したような、SFのプロ集団として責任ある団体でありたいという想いも残ってしまっている。ここが多くの問題を生み出しているところであり、つまるところ多くの会員が小松さんの理想に追いつけなかったことが、それらの問題の主たる原因だと私は思うのだ。
 あるときは「私たちは親睦団体です(だから社会的責任とは無関係です)」といい、一方では「日本を代表するSF団体だ」というような世間からの誤解を放置して顕彰や協力協賛をおこなう。少なくともそのように見えてしまう。これが一般読者からの主たる不信感の原因であるように思える。この部分は多くのSFファンも納得していただけるところではないか。
 科学研究の世界でも似たようなことがある。研究者自身は、うそをついていない。しかし研究機関としては大規模予算を取りたい。だからメディアが「夢の研究」と言ったような感じで肯定的に報道するのを、つい放置してしまう。自分たちはうそをついているわけではない、メディアが勝手に想像を広げて報道しただけだ、というスタンスを取りたがる。これで混乱したのがたとえば初期のiPS細胞報道だと思うが、どこかで歪みが出てきてしまう。「正確な情報を」と苦言を呈する研究者はよくいるのだが、それが「自分たちにとって都合のよい情報を」であってはならないのだと私は思う。

(その5に続く)
posted by Hideaki Sena at 01:52| 仕事