2015年12月06日

日本SFコミュニティについて考えること(その3)

(その2からの続き)

 勇気ある決断、と上に書いた。私自身の体験を交えてもう少し詳しく記す。
 私が日本SF作家クラブに所属していたときのことだ。当時、私は会長だった。新宿の喫茶店で、私を含め4名の打ち合わせがあった。そこにはこれから日本SF作家クラブに入りたいという方が同席しており、彼の推薦者もいた(クラブへの入会には3名からの推薦がまず必要)。
 会合自体は和やかに進んだのだが、その方はかつて会員の反対に遭って入会が拒否されたケースがあることをご存じのようだった。入会の話になって、それでふと「否決されたらいやだなあ」と笑いながらおっしゃった。
 そのとき推薦者が漏らした言葉は忘れられない。「そんな奴は、粛清してやる」。そうか、これがこの人の本心なのか、と思ったものだ。
 私がクラブ内の人間関係で疲弊を感じていたとき、上野駅の近くのカフェで、あるクラブ会員と話をした。いろいろと相談に乗ってくださったのだが、帰り際に私が退会したいと思っていることに関して、その方がさらりとおっしゃった言葉も忘れられない。「そういうことをいうのは、クラブに対する脅迫になる」。
 日本SF作家クラブは、基本的に推薦者があって入会が許される。だから退会したいと意思表示するのは、その推薦者たちの顔に泥を塗ることになる、という価値観があるようだ。全員がこうした考えを持っているわけではないだろうが、小さな共同体社会ではなるほどこのような考え方もあるだろう。退会しにくい雰囲気があると感じる会員は存在するだろう。
 少しざっくりとした話になるが、SFコミュニティにいると「それは恫喝だ」という表現の指摘を目にすることがある。非常に強い表現で、こちらはびっくりする。価値観の違いを見せつけられる場面だ。「それはおかしいじゃないか」という問題提起が、「恫喝だ」と感じられてしまうケースがあるように思える。また「恫喝だ」といえば相手がびっくりして黙るというケースを何度も体験してきた人たちが、安易にこの言葉を使っているように思えるときもある。
 話を戻すと、こうした言葉が会員から出てくるのは、いじめ構造があるということではないだろうか。個々人の言動がどうこうではなくて、そういう構造がある、ということである。

 少しでもよい社会にしてゆくためには、外部の視点を現場に投入することだ、というのは内藤朝雄『いじめの構造』にも書かれていることだ。
 STAP細胞問題が生じたときも、理研は外部諮問機関を設けてクリアな解決を図ろうとした。すべてがうまくいったわけではないだろうが、少なくとも外部からの評価を受け入れて改善しようと努めたわけだ。私はよく思うのだが、いま私たちの間で問題になっていることの本質的構造には、かつてどこか別の社会で問題になったことと似た部分が必ずある。先行例でどのような問題解決が図られたのかを知ることはとても大切だ。日本SFコミュニティはそれらの先行例をきちんと見て、自分たちの今後に活かすべきだと私は思う。
 内藤朝雄『いじめの構造』にも書かれている通り、いじめの現場で力を持っている人でも、別の社会に行けばその力がまったく通用せず、いじめることができなくなる、ということはよく知られている。いじめ構造は小さな共同体社会で発生しやすい。どうしてもそうした社会では、自分たちの仲間同士で集まってしまいがちだ。
 日本SF作家クラブは「親睦団体」である。だが一方で、かつての小松左京さんが願ったような、SFのプロ集団として社会に責任のある発信をゆく集団でありたい、という動きが日本SF大賞などの行事に残っている。SFのイベントがミュージアムなどで開催されれば「後援」や「協力」で名を連ねる。それは団体として、社会的に責任を持つということではないか。このダブルスタンダードは日本SFコミュニティが抱えてきた本質的問題でもある。「おたく」社会の内輪な感じと、「明日の大文学」と小松さんがいった開かれた未来のイメージがずっとぶつかりあってきて、もうそろそろごまかしきれない時代になっているということではないか。

 私自身はすでに日本SF作家クラブを退会した立場であるから、現在の運営に関してどうこういうつもりはまったくない。ただ、私からの想いとして、次に会長職を引き受けてくださった東野司さんには、次のようなことをお願いしていた。
 まず会則や日本SF大賞のシステムについては、若手の人たちで委員会をつくり、そこで存分に議論してもらいたい。若手といってもSFコミュニティは全体的に年齢層が高いので、まあ50歳未満というところか。
 日本SF大賞のシステムは東野さんの時代に改定され、一般からの推薦を受けつけるようになった。少しずつ会則も改定の動きがあるようだ。とてもよいことだと思う。
 だからクラブは、「私たちは健全なクラブ運営の実現のために、このような改善をおこないました」というアピールを積極的にしてゆくのがよいと思う。そうしたアピールをおこなうことによって、ひとつには外部からの評価を促す効果がある。
 もうひとつ、私が会長時代に心がけたのは、何かイベントをおこなうときは必ず外部の人材を入れるということだった。50周年記念プロジェクトのとき、内輪で進めようとしているように見受けられる会員がいたときは、「より開かれたイベントとしてデザインしてほしい」と必ず伝えていた。そのために激昂されたこともあったが、それは外部の視点が入るとその人にとって困った事態になるからだろう。自分の権力が発揮できなくなってしまうからだ。
 しかし会長職のようにトップに立つ人間は、あえてその構造を崩してゆく必要がある。すべてのイベントでそのようにするわけではない。ときには仲間内で存分に騒げばいい。それが「親睦団体」たる所以である。仲間内で騒げるイベントも(ガス抜きとして)別途用意しておくのが肝心だ。
 しかし50周年記念プロジェクトのように一般へと開かれたイベントなら、外部の価値観や倫理観が入った組織としてデザインしてゆくことも必要ではないだろうか。そうすれば少なくともいじめ構造は成立しなくなる。それでは居心地が悪い、という人がいるのなら、その人こそがいじめ構造をつくっている人だ。
 ときと場合による切り替えが必要であるはずなのに、その切り替えがうまくいかないのがいまの日本SFコミュニティの問題点なのだ。
 しかしこの問題は、ひとりひとりが考えることで、少しずつ改善してゆくことができる。私たちにできる最初の一歩だ。

 ここでいったん休憩する。次は仲間内社会と一般社会の倫理観の相違、ゴシップの件などについて書く。

 なおこの一連の文書はいずれ削除するつもりです。どうかご理解をいただければ幸いです。
 まだこの文章は書いている途中なので、どうか刹那的な反応をすることは控えていただければ幸いです。このことについても後で思うところを詳しく書きます。

(ここでいったん休憩。その4へ続く)
posted by Hideaki Sena at 17:07| 仕事