2017年04月27日

問題点を取り出して特徴を示すことと、「これだからおたくは(SFファンは)」と十把一絡げに言うことは違う

 須藤玲司氏と中津宗一郎氏による瀬名の非難がツイッター上でやりとりされてから少し経って、今度は唐突に、フリー編集者・アンソロジストの日下三蔵氏が私・瀬名の名前をツイッターで取り上げるということがありました。他者様への苦言に続けて、ご自身がSF界においてむしろマイノリティの存在であるといった旨をお書きになった後、唐突に私の名前が出されました。以下のようにです。

>ともかく本人の帰属意識と傍から見えるポジションが必ずしも一致するとは限らないし、SF業界とかSF界のようなくくり方は本質を見誤る元であろうと思っています。SFを書く人とSFを読む人が一定数いる、というだけで各々の意見はバラバラなのに、あたかもSF界なる集団があると錯覚してしまう。

>例えば日本SF作家クラブは一つの団体ですが、別に日本SFとイコールではないし、作家クラブに入っていないSF作家もたくさんいるわけです。「これだからSF界は☓☓だ」みたいなくくり方は雑過ぎるでしょう。これ、瀬名秀明さんにも何度も言ったのですが、結局、理解してもらえず残念でした。

 私は日下氏に抗議し、「これだからSF界は☓☓だ」などと「雑」な「くくり方」などしたことはないので、もしそのようなことがあったなら文例を示してほしい、雑な括り方をなさっているのは日下さんの方ではないのですか、どうかツイッターという公開の場では慎重なご発言をお願いします、と伝えました。
 日下氏は私のブログを例に挙げました。そこで私は、このブログでは「SFコミュニティ」という言葉に対して自分ではこのように使いますという定義を試みており、また適宜「一部は」などの言葉を挟んで慎重に書いているはずだ、決して「雑」な「くくり方」ではないと伝えました。
 プロ評論家が公の場で、無関係な文脈であたかも瀬名のことを愚か者の代表であるかのように例として挙げていることは、それこそが雑な括り方ではないのですか、と申し上げました。
 日下さんはその後、ご自身のツイッターで

>SF界、SF業界というくくり方は必ずしも実態を的確に示しているとは限らず、ほとんどの場合において一部の事例を全体に拡げているに過ぎない、という私の持論に変わりはないが、瀬名秀明さんはブログで「SFコミュニティ」の定義や実態について詳細に考察しており、「雑なくくり方」の文脈で瀬名さんのお名前を出したのは不適当でした。よってその部分を取り下げ、瀬名さんにお詫びいたします。

 と書いてくださいました。

 日下さんのおっしゃる「本質を見誤る元」の本質とは何であるのかとうかがったところ、日下さんからは

>SFを書く人とSFを読む人が一定数いる、というだけで各々の意見はバラバラ
>という当たり前のことです。ほぼ同じ文章を『夜の虹彩』の解説にも書いた記憶があります。

 とのことでした。
 まさか私がそんなことさえわかっていない人間だといままで思われていたのだろうか、と愕然とした思いです。
 このことについて、私は20年来悩まされ続けてきたので、あらためてここで書きます。


 私の文章や訴えを読んで、
「瀬名はおたくやSF業界を十把一絡げに批判している」
 と反発なさる方が一部にいらっしゃいます。これは何度説明を差し上げても、どうしてもご理解いただけないことのようで、この簡単なことがなぜご理解いただけないのか私にはどうしてもわからず、つねに私の精神を圧迫する元となっています。

・問題点を取り出して特徴を示すことと、「これだからおたくは(SFファンは)」と十把一絡げに言うことは違う

 なぜ「おたく」や「SFファン」を自称される方の一部【注意・全員とは申しておりません!】が、いつもいつも、決まってこのように、「他の人と同じに扱うな」「SF村の一員と十把一絡げにするな」と憤慨して主張なさってくるのか、また私に対してときに攻撃的な態度をお取りになるのか、私は非常に、とても非常に、20年来不思議に感じています。いったいなぜなのでしょうか。
 そしてこちらが説明しても、よくわからないといった態度をして、自分の主張を引き下げることをなかなかせず、かえって意固地な対応を取られる方が多いのです。
 逆にいえば、このようにお考えになり、行動なさるという点で、これらの方々はとてもよく似ていると私は感じています。どうしてもそう感じざるを得ないほどよく似ていると思います。
 SFファンだから、特撮ファンだから、おたくだから、ミステリファンだから、といった枠組みとは違う、別のレイヤーがあるように感じられます。

 これは私が長年観察して考えてきた仮説です。

 もしかすると「おたく」を自称なさる方は宮崎勤事件の傷が深く心にあって、「自分を宮崎勤と一緒にするな」という過剰な防衛反応が心に働いているのかもしれません。
 だから「あなたにはこのような傾向があるから、人と接する際にどうか気をつけていただけませんか。少なくとも私はとても嫌な思いをしました」といわれたときに、「おたくをひとくくりにするな。宮崎勤と一緒にするな」と感情が先走ってしまうのではないか。私はそのように考えています。
 この私の考えは間違っていますでしょうか。もしそうなら知見を刷新し、知見を深めたいので、ぜひご教示をいただければ幸いです。
「おたく」や「SFファン」を自称される方の一部は、この過剰な先回り防衛によって、ときに他者に対して精神にダメージを与えるほどの攻撃性を発揮してしまう、ということはないでしょうか。

 関連してもうひとつ。
 これらの方々はこれまで何度も、雑な括り方で批判を受けてきた体験があるのでしょう。
 だから決して雑ではない議論を相手が試みようとしたときも、相手はきっと雑な意見の持ち主だろうと反射的に考えて、相手をその枠に括ってしまいがちなのではありませんか。
 そしていったん相手をそうだと思い込んでしまうと、今度はなかなか自分の信念を訂正できないのではありませんか。
 かつて世界では、「女はこういうものだ」「黒人・ユダヤ人とはこういうものだ」などといって、差別がおこなわれてきた重い歴史的事実があります。それと似たかたちで「おたく・SF村とはこういうものだ」などと言う人は、残念ながらいまの時代にもいるでしょう。
 では、だからといって、相手に対しても同じことをしてよいでしょうか。そうではないと思います。
 大切なことが指摘されているときでも、聞く耳を持たなくなってしまう、ということはないでしょうか。


 このように書くと、「ほら、やはりひとくくりにして批判しているではないか」などといわれるかもしれません。
 そのようなとき、私はどうしても昔の「ああいえば上祐」という言葉を思い出してしまいます。何か社会に対するパースペクティヴがねじれてしまうようで、非常に精神に負担が掛かり、吐きそうになります。
 問題点を括り出して提示することは理解や解決へ向けた「般化」につながりますが、それは「十把一絡げの暴論」とは違います。「科学の見方」と「ステレオタイプな決めつけ」が違う、ということと同じです。
 問題を整理し、当事者にわかりやすい気づきを得ていただくために、「このような場合がまま見られるので注意してください」とまとめることは、「人間ひとりひとりは個性的な存在である」という基本的人権の主張となんら矛盾しません。

>SFを書く人とSFを読む人が一定数いる、というだけで各々の意見はバラバラ

 というご意見は、ある面から見ればはまったくその通りですが、別の面から見れば実情を反映していないご意見だと私は感じます。その後者の部分があるからこそ、私たちはこの世界で生きることに困難を感じ、日々解決策を求めて格闘しているのではないでしょうか。
 人間一人一人が個性を持ち、皆違うのは、当たり前のことです。
 ですが、「各自の意見はバラバラだ」と主張しただけでは、物事は解決できない時代なのだと思います。
 おたく・SFのことも例外ではないと私は思います。


 こうした私の訴えは20年来ずっと変わらないはずですが、いまなお
こちらのことを「SF村の一員だろう」と一括りにして瀬名は思っている
 とお考えの人には、どうしても伝わらないようです。なぜこの簡単なことが伝わらないのか私にはどうしてもわかりません。
 残念ながら、私・瀬名のことがカンに障る、という方はいらっしゃるのでしょう。それは仕方のないことだと思います。
 ですが、なぜ上述のような方々が、揃いも揃って同じように、このようにお考えなのかもわかりません。この一点において、そうした方々は同じ行動を取っている、つまりグループとして抽出できるほどの特徴的な集団である、と判断されても仕方がないと思います。何か特徴的な精神の回路があるのかとさえ、心が弱いときにはつい思ってしまいそうになることもあります。
 まさにそこが私にとっては大きな負担なので、どうかご自身でお気づきになって、変えていただきたい、と願っていることです。

「いやなら見なければいい」
 とおっしゃる方がいます。
 一部のことについては、これは妥当なご意見でしょう。書かれる場所によっても違います。私もほとんどの場合は、目に入っても無視します。
 ただ、他者を非難する文脈で、これは当て嵌まらない場合があると私は思っています。
 とくにそれは、勝手な思い込みで相手を枠組みに填めて、自分の思い込みと違うからと言って非難なさるような場合です。勝手な思い込みによって、相手をあたかも愚か者の代表者であるかのように蔑むような場合です。私自身の社会的信頼を大きく傷つけています。
 言いっ放しで何を言ってもいいのか? そうではないです。
 相手は公人(作家)、自分は私人ないしマイノリティ(と自分では思っている)。だから何を言ってもいいのか? ときと場合に拠りますが、場合によってはそうではない、というのが私の道徳観ですし、これは決して特殊な道徳観でもないと思います。
 人間一人と、人間一人が向き合う問題である、と思います。
 この私のブログは、もしかすると一部の方には思い当たる節のある内容になっているかもしれません。
 では「いやなら見なければいい」のでしょうか。人間にはそれを乗り越えて自分を変えてゆく勇気があると私は思います。


 このようにお考えください。
 まず「おたく」や「SFファン」という枠組みがあるのではありません。
 私がこれまで仮に「おたくの精神性」の弱さ、甘え≠ニ記してきた、人間誰しもがうっかりすると表に出してしまう弱さ、甘え、それを他者への攻撃として表現してしまいやすい人がいる。
 そうした人たちが「おたく」や「SFファン」というベン図の中に入っていることがある。
 そのために、そうした人たちのおこないが、つい他の人をして「これだからおたくは」「これだからSFファンは」といわせてしまう結果になっている。
 ということです。
 重要なのは、甘え≠フ部分です。
 私がお願いしたいのは、「おたく」や「SFファン」はこれこれのことを改めてほしい≠ニいうことではありません。
 あなた個人のその行為が、私を強く傷つけています。私の社会的信頼さえ傷つけている可能性が高いです。しかもあなたの思い込みそのものが間違っていると私は感じています。私は苦痛なので、どうかやめてください。またできればこれを教訓として、どうか同じことを今度他の人にもおこなうようなことはなさらないでください。
 ということです。
 これは雑な括り方によるお願いでしょうか? そうではないと思います。

「おたくは理不尽な迫害を受けている」「いわれもないことで非難を受けたり嫌われたりている」
 とお考えの方がいるかもしれません。
 ですが、もし「おたく」や「SFファン」が嫌われているとしても、それはアニメやまんがを見ているからではありません。
 その人個人が、他者に対して迷惑を掛けているからです。だから、その人個人が嫌われるのでしょう。
 そして、その人個人が「おたく」や「SFファン」を自称していることによって、コミュニティは迷惑を被っているのです。
 もしこれが何かの疾患によるもので、ご自身ではどうしようもないものなのだとしたら、それは仕方のないことでしょう。ですがこれはご自身でコントロールできないことなのでしょうか。そうではない場合がほとんどだと思います。多くはご自身の意志で、改善できるはずのものだと私は考えます。
 それに対して「お願いですから慎重に行動なさってください」と相手にお伝えすることは、大切なことだと私は思います。

 なぜ私がこのようなことを20年も述べているかというと、同じ悲劇が今後も繰り返される可能性があり(実際に繰り返されていると私には思われ)、そうした悲しいことが今後起こってほしくないからです。
 私は「おたく」全般を非難しているのではありません。「SFファン」をだめだといっているのもでありません。「SF村」がどうのといっているのでもありません。
 もし私が何かを申し上げるなら、それはおたくやSFそのものではなく、あなた個人≠フ振る舞いについて申し上げているのです。
 残念ながらこれまでの私の経験では、こうしたお話を差し上げても、
・ご自身の勘違いを取り下げることはなく、また謝ることもない。いったんこうと表明してしまった信念を修正することができない。
 という方が非常に高い頻度でいらっしゃいました。おかしなプライドが邪魔をしているのではないかと感じることが多々ありました。
 あなたはそうした方々と同じでしょうか。
 私はそのことをおひとりおひとりに問いかけたいと思います。


 この根本的なところが相互理解できない限り、同じことがいつまでも繰り返されると私は思っています。
 何度も、何度も、何百回もこのことを指摘し、相手にご理解をいただく試みを繰り返すのは、本当に大変なことなのです。
 いつまでも過去に引き戻されるような感覚があり、仕事にも大きく差し支え、健全な生活へと回復するのに障壁となります。いまなお激しい疲労と苦痛に悩まされることがございます。この文章を書くだけでも大変な努力が必要です。


 なお角川春樹事務所の中津宗一郎様は、その後私がメールを差し上げ、1ヵ月経っても精神的に苦しめられることがあるのだとお伝えしたところ、
「瀬名さんが委員としてどのような役割を果たしていたかについて、十分に知ることもなくあのような非難を書いてしまい、その結果、瀬名さんを精神的に追い詰めてしまうという結果をもたらすまでになるとは想わなかった浅はかさは、文芸編集者としてのみならず、一人の大人として書く前に熟慮するべきでした。」
 と、ご丁寧なお詫びのメールを頂戴しました。それはお心の籠もったものであり、充分にお詫びのお気持ちが伝わってくるものでしたので、私はもう中津様に対しては気持ちを引きずることはないようにしたいと思っています。

 日下三蔵様は「雑な括り方」の例として私・瀬名を取り上げたことについて撤回なさいましたので、その点に関しては私は納得しております。

 この文章をお読みになる方は少ないかもしれません。ですが、ここに書いたことは、とても大切なことだと思います。
 どうかご理解をいただければ幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

瀬名秀明


追記
 世のなかには「先回り服従」と「思いやり」の区別・使い分けが理解できない人がいる、というのは、私にとってはけっこう衝撃的でした。ここや先のエントリーで書いたことの意味をうまく汲み取っていただけない場合があるのですね。「自分と立場の違う人の気持ちを考えて言動に気をつけることは先回り服従である」という道徳観があるのですね……。時と場合によると思いますし、服従と礼儀は違うと思いますが、そうした考え方もなく一律なのでしょうか。先回り服従というのは圧力がかかっている場合に生じるものなのでは?
 むかし「言葉に気をつけていただけませんか」とある人にいったら、「それは表現の自由を脅かすものだ」といった旨のご返答をいただいてびっくりしたことがあります。そのとき、それを横で見ていたある人は、後に「あれは単にしつけの問題だよね」とおっしゃったそうです(伝聞情報)。当時のことを思い出しました。
posted by Hideaki Sena at 17:14| 仕事